2009年3月22日日曜日

『我等の生涯の最良の年』 よりよき明日を信じた頃


個人的には思い入れが強いジョン・フォードの『荒野の決闘』は1946年度のアカデミー賞でノミネートすらされなかったのだが、この年のアカデミー賞で圧倒的に評価されたのはウイリアム・ワイラーの『我等の生涯の最良の年』だった。ノミネートは実に9部門、そのうち最優秀作品、最優秀監督、最優秀主演男優、助演男優賞、製作賞、脚本賞、音楽賞、編集賞の8部門までを総なめ、さらに出演者のハロルド・ラッセルに対する特別賞を含めると9つのオスカーに輝いたのである。まさに1946年のアメリカ映画界はこの映画に始まりこの映画に終わったといっても過言ではない。

映画は3人の兵士が地方都市に帰郷する飛行機に乗り合わせ、その後のそれぞれが歩みだす人生模様を描いていくストーリーだが、希望に満ちたアメリカの戦後にも決してすべてが輝かしいものばかりではなく、帰還した戦争の英雄たちにもほろ苦い現実が待ち受けていた。それは戦後のアメリカの方向性がいったいどこに向かっていくのかという不安と、噴出する現実の社会問題に対してよりよき明日の到来を何とか信じたいという社会の実相を、この映画は3人の兵士とその家族、周囲の社会を通して描いていったともいえる。

1945年の第2次大戦の勝利と悲惨な戦争の終焉はアメリカ全土を熱狂させ、紙ふぶきが舞うタイムズスクエアを水兵たちが恋人を抱きかかえてキスし浮かれる戦勝の日の映像はあまりにも有名だが、勝った側にだってもちろんそれ相応の代償を支払ったのは考えてみれば当然といえば当然である。戦場に駆り出されたアメリカの青年たちのなかにも故郷の地を生きて踏めなかったものも多いし、生き延びたものの不具者になったものもいる、戦争後遺症をひきずりながら心の病を抱えさせられたものもいただろう。
そんな勝利の陰にある犠牲は、輝かしい栄光がクローズアップされる中ですっかり忘れさられていたが、戦争が終わってしばらくすると、アメリカ社会にも実は大きな傷を受けていたことが徐々に明るみになって、この映画は初めてその勝利の影の“負”の部分をクローズアップしたともいえる。これは当時のハリウッドでは大変勇気を必要としただろうし、その意欲的な取り組みだけではなく名匠ワイラーの手によって作品としても完成されたものとなったわけだから、この映画が評価されないわけがなかったのだろう。

映画に登場する3人の兵士は、フレデリック・マーチ扮する陸軍軍曹だったアル。ダナ・アンドリュース扮する空軍中尉のフレッド、ハロルド・ラッセル扮する海軍水兵のホーマー。それぞれ年齢も階級も所属も違うのだが、ただホーマーだけは両手を失って義手となってしまっている(ラッセルは職業俳優ではなく実際落下傘部隊の従軍で両腕を失った)。
アルは下士官だったが元銀行員で社会的にも恵まれている年配の紳士で、優しい妻と美しく賢い娘(テレサ・ライトが本当に可憐だ)と息子がいて、高級マンションに温かい家庭が待っている。フレッドは爆撃機の機長で武勲を挙げドゥーリトル中将から感状も与えられた英雄であるが、元はソーダファンテンの売り子で社会的には底辺出身、新妻がいたが戻ってみればキャバレーで働いていて享楽的な生活に染まってしまっていた。ホーマーは典型的な中産階級の出で、隣の家に住む幼馴染の優しいフィアンセが彼の帰りを待っている。
軍隊での序列と社会に戻ったときの階層のギャップは皮肉だが、戦後のそれぞれの第一歩を踏み出した彼らと、それを受け入れる側には、三人ともすんなりとは溶け込めない溝があることに気付くのである。

アルは銀行に復職するが、担保を持たない帰還兵に融資を認めることから上司から注意を受けてしまう。息子はといえば戦争の体験談を聞かせ渡した戦利品の日本兵の遺品のみやげものをあまり喜んではいないようだ(アルは日本兵をジャップと呼ぶが息子はジャパニーズと呼び、学校では彼らは家庭を大切にする国民だと教えられたと告げられる)、娘はよりによって妻がいるフレッドに恋してしまう。時代が変わってしまっているなかで一人ついていけない自分についつい酒量も増えるのだ。
フレッドは、輝かしい軍歴は実社会では全く一顧だにされず再びソーダの売り子で生計を立てざるを得ない。しかも妻は自堕落で、戦場の悪夢に夜な夜なさいなまれるフレッドを疎みだし口げんかが絶えないものだから優しいアルの娘に惹かれてしまっていく。
ホーマーはといえば、義手をはずせば一人で着替えもできない身体的ハンデを持つ身ではフィアンセに負担をかけてしまうのではないかと思い込み、優しくされればされるほどつい相手につらくあたってしまう。彼らにとっての戦争から解放された“生涯の最良の年”は何処に行ってしまったのだろう。あるいは戦争前の“生涯最良だった”年月はもはや奪われてしまい戻ってはこないのだろうか。『The Best Years of Our Lives』というタイトルは実に示唆に富み、色々な解釈ができるかのようだ。

帰還兵士を受け入れる社会の様々な問題もさることながら、アメリカ自体が大きく方向転換しだすその政治性もこの作品を見ているといやおうなしに気付かされる。フレッドの職場を訪れたホーマーが義手を使って器用にソーダを飲んでいるのを見た男から“本当の敵はドイツや日本ではなかったのに、君らは犠牲になった”とからまれ逆上したホーマーが“俺たちはまぬけだったということか?”と叫ぶシーンは、まさに冷戦の開始とあいまった戦後のアメリカの姿勢を浮き彫りにしている。戦争を主導した民主党に対する孤立主義的な共和党のアンチテーゼということなのだろうが(脚本のロバート・E・シャーウッドはルーズベルトのスピーチライターだった)やがて吹き荒れる赤狩りの時代の予兆とも見て取れるのである。

しかしながら三人三様の挫折も、決してハッピーエンドではないのだが、ホーマーの結婚式という場でよりよき明日に思いを託す救いを持たせてラストを迎える。この静かなエンディングは実に感動的で、この三人のその後の人生が決して悪いものとはならないであろうと思わせ、観るものそれぞれに彼らの人生の続きを想像させる。思えばこの1946年こそはやっぱり“生涯最良の年”で間違いなかったのだというようにである。

製作のサミュエル・ゴールドウィンは1944年のタイムの記事で帰還した兵士たちの手記を読んで着想を得、小説家のマッキンレー・カンターに物語にするように依頼したのだが、これが400Pを超える長編になってしまった。
アメリカを代表する現代画家のノーマン・ロックウェルの作品に帰還兵士を迎える一家を描いた画があるが(フレッドの実家はこのロックウェルの絵にそっくり!)、社会的にも続々と帰還する兵士たちの社会復帰をとりあげるのはまさに時宜を得ていたといえよう。映画化に当たってはロバート・E・シャーウッドがワイラーとともに議論を重ねながら脚本化したので原作とは全く異なるものになってしまったが、それでも2時間を越える長尺作品となってしまっている。

この長編をまったく飽きさせることなく一気に観せてしまうのは、ワイラーの演出もさることながらカメラを担当したグッレグ・トーランドの腕によるところも大きい。トーランドはパン・フォーカスの技法を駆使してオーソン・ウェルズの『市民ケーン』を指導した名手として知られるが、奥行きを取ったセットで長回しする手法は随所に生かされ、酒場でアルがホーマーとピアノを囲みながら奥のボックスで娘との交際をあきらめる電話をかけるフレッドを見つめるシーンなどは、画面の切り替えなしにまさにふたつの事象を同時進行であたかもその場にいるかのような臨場感を観る者に与えてくれる。特に解体された飛行機が飛行場のはずれに山積みにされているシーンは陰影をつけた光の取り入れ方とパンフォーカスでなめて行くことで寂寥感溢れる心理描写を見事なまでに表現している。モノクロ映画の芸術美の極致と言っても過言ではない、この作品でトーランドがオスカーを取れなかったのも不思議といえば不思議である。

日本での公開は2年後の1948年。まだ140万人の日本人が海外から帰還できずにいた時代である。復興が始まっているとはいえ焼け跡が残る街の映画館で、どんな想いでこの映画を観たのだろうか?帰れぬ夫や父親に思いをはせたのだろうか、占領軍として権勢を振るう米軍にも戦争で心の傷を負ったことを意外と思ったのだろうか?この映画を見た多くの日本人もそれぞれに明日を信じようと苦闘していた時代だった。様々な感慨とともに“生涯最良の年”を思い描いていたのかもしれない。

●我等の生涯の最良の年
(1946年 サミュエル・ゴールドウィン作品)
製作/サミュエル・ゴールドウィン
監督/ウィリアム・ワイラー
原作/マッキンレー・タイラー「私のための栄光」
脚本/ロバート・E・シャーウッド
撮影/グレッグ・トーランド
音楽/ヒューゴ・フリードホーファー
音楽監督/エミール・ニューマン
美術/ペリー・ファーガソン、ジョージ・ジェンキンス
出演/マーナ・ロイ(ミリー・スティーブンソン)
   フレデリック・マーチ(アル・スティーブンソン)
   テレサ・ライト(ペギー・スティーブンソン)
   ダナ・アンドリュース(フレッド・デリー)
   ヴァージニア・メイヨ(マリー・デリー)
   キャシー・オドネル(ウィルマ・キャメロン)
   ハロルド・ラッセル(ホーマー・パリッシュ)
   ホーギー・カーマイケル(ブッチ・エンジェル)
   グラディス・ジョージ(ホーテンス・デリー)

1946年度 アカデミー賞  最優秀作品賞
               最優秀監督賞
               製作賞
               主演男優賞
               助演男優賞
               脚本賞
               音楽賞
               編集賞
               特別賞(ハロルド・ラッセル)
1946年度 ゴールデングローブ賞 最優秀劇作品賞
               特別賞(ハロルド・ラッセル)
1946年度 BAFTA 最優秀作品賞
1948年度 キネマ旬報ベストテン2位