2008年8月22日金曜日

『群集』 ヒューマニズムに希望を託して


名匠フランク・キャプラ監督が『オペラハット』(1936)、『スミス都へ行く』(1939)に続いて、アメリカンデモクラシーをテーマに描いた作品で、私自身いままで未見だった1本である。
前の2本がピューリタニズム的善意を基調とした正義が、悪なるものに立ち向かい勝利するという展開をたどっていたのだが、この『群集』では主人公ウィロビー(ゲーリー・クーパー)のイノセントな朴念仁的キャラクターこそ共通するもののいささか趣を異にする暗さを感じさせる。それゆえにハートウォームなキャプラ作品では異色作と捉えられるからか日本では前記2作品や『或る夜の出来事』(1934)、『素晴らしき哉、人生!』(1947)などに比べこれまであまり評価されることがなかったように思える。
特に社会の木鐸たるメディアが使い方次第で大衆を意を持って操縦できる危険性をはらんだものであることに警鐘を鳴らした内容は、現代に置き換えてみても不気味なほどリアリティがあり観るものに迫ってくる。製作はすでに世界大戦下に突入した1941年。政治宣伝やフレームアップという大衆煽動によって台頭したナチズムに対しての強烈な揶揄であることは明らかなのだが、民主主義の思わぬ落とし穴を内なるアメリカの新聞社を舞台に問題提起したあたりに、そこは自由を求めて新大陸へと移住してきた異邦者としてのアイデンティティに起因するものなのか盲目的なアメリカンデモクラシー賛美に対するキャプラのシニカルな見方を感じてしまうのである。

物語は社主が変わった新聞社がリストラを図るところから始まる。クビを宣告された女性記者アン(バーバラ・スタンウィック)が腹いせにコラムで一市民ジョン・ドゥ氏からの投書で“世の不正に抗議してクリスマスの晩に市庁舎から飛び降り自殺する”というでっち上げ記事を載せるのだが、これが思わぬ反響を呼んで新聞は売り上げが急増する。アンは自分の社内での生き残りをかけ、新聞社にこの投書の主ジョン・ドゥを実在するように作り上げる提案をもちかけ、新聞社も売り上げのために失業中の元野球選手のウィロビー(クーパー)に白羽の矢を立てる。
ジョン・ドゥ=ウィロビーはメディアに引っ張りだこになり金欲しさからアンの言うがままに隣人愛を説き正義を謳い上げる演説をするのだが、それが多くの人々の共感を得てジョン・ドゥ倶楽部やジョン・ドゥ党といった善意の大衆運動へと発展していく。その人気に目をつけた新聞社の社主はある計略を立てるのだが…。



原題は『Meet Jhon Doe』。ジョン・ドゥというのは身元が明らかではない犯人や死体に便宜的につけられる慣用的な名前で、いわば“名無しの権兵衛”といったところだろうか。名無しの権兵衛がメディアの操作によってヒーローに祭り上げられていく過程は、活発な女性記者とお人よしの主人公というパターンでキャプラ的なコミカルなドラマが展開していくのだが、権力者の狡猾な情報操作とその危険に目が覚めたウィロビーとアンに対して権力側の攻撃が開始される後半部で物語は一転してにわかにシリアスになっていく。
自分の素性と権力者の意図を暴露しようとマイクの前に立つウィロービーに、マイクの音声を絶ちサクラの野次により発言を封じ込められるシーンは、クーパーの失意と焦燥が伝わってくるような映像に手に汗握らされる。60~70年代の伝説的な映画誌「映画芸術」を主宰した評論家の故小川徹は三島由紀夫の決起になぞらえていたが、確かに権力側に飼いならされてしまった小市民としての自衛隊員が罵詈雑言を浴びせるニュース映像に、政治的な立場は違えども大衆への情報操作、それにともなうマスヒステリアの空恐ろしさという意味では共通する部分があるのかもしれない。

退路を絶たれた三島は自刃の道を選び、この映画の主人公も一旦は当初設定された自殺への道に追い込まれるのだが、キャプラはそれでも“群集”のなかにきわどく踏みとどまった善意や愛情の勝利に希望を託すのである。貧困からの逃避や自由への希求から新大陸にやってきたキャプラにとっては、ペシミスティックな結末を選ぶはずもないのだろうが、この『群集』では鮮やかな正義の逆転劇を披露するわけでは無く、あくまで声高にならず控えめながらも力強くヒューマニズムへ信を置いたところに、逆に映画自体を一段高い価値にまで押し上げていったのかもしれない。

ゲーリー・クーパーもバーバラ・スタンウィックも演技者として全盛期を迎えちょうど油が乗った頃だったので本当に魅力的である。しかしながらそれゆえにこの年、クーパーは『ヨーク軍曹』で、スタンウィックは『教授と美女』でそれぞれオスカー主演男女優賞にノミネートされており(クーパーは受賞)、『群集』は割を食った形になり、わずか原案賞にノミネートされただけであった。
オスカーは逃したものの、この作品のアメリカでの評価は高く、“次代へ遺すアメリカ映画”にも選出されているそうである。
フランク・キャプラをリスペクトする映画人は多いが、この作品に関してはジョエル&イーサン・コーエン兄弟が『未来は今』(1994)でオマージュとして題を取っている。

●群集
(1941年米作品)
製作・監督/フランク・キャプラ
脚本/ロバート・リスキン
原案/リチャード・コネル、ロバート・プレスネル
撮影/ジョージ・バーンズ
音楽/ディミトリ・ティオムキン
出演/ゲイリー・クーパー(ウィロビー)
   バーバラ・スタンウィック(アン)
   エドワード・アーノルド(ノートン)
   ウォルター・ブレナン(大佐)
   ジェームス・グリーソン(コネル)

2008年8月6日水曜日

『巨星ジーグフェルド』 天空への階段


アメリカショウビズ界の伝説的なプロデューサー、フロレンツ・ジーグフェルドの生涯を描いた作品。1936年度の第9回アカデミー賞で7部門にノミネートされ、作品賞、主演女優賞(ルイーゼ・ライナー)、ダンス監督賞の3部門でオスカーに輝いた。私自身はMGMの創立50周年を記念してミュージカル映画の集大成として製作された『ザッツエンタテインメント』(1974年)で初めてこの映画を知ったのだが、厳密に言えばミュージカルというよりは伝記的なドキュメントドラマといった意味合いが強い。とは言うものの豪華絢爛たるジーグフェルドフォリーズの創始者の映画ということで、舞台シーンやダンスシーンが当然次から次へと再現されていてミュージカル映画とカテゴライズされるのももっともである。

フロレンツ・ジーグフェルド(1869-1932年)はシカゴの見世物小屋の興行師から身を起こし、1910年代に美しい女性を集めたレビュー「ジーグフェルドフォリーズ」を創設し人気を博す。この映画にも実際にフォリーズの人気ものだったファニー・ブライスとハリエット・ホクターが出演しているが、フォリーズからは当時一大産業になりつつあった映画界にもニタ・ナルディ、メイ・マレーといったサイレント時代の大女優を輩出した。チャップリン夫人になったポーレット・ゴダードやバーバラ・スタンウィックなどもフォリーズ出身で、20年代のヨーロッパを熱狂させ時代の寵児となった黒人ダンサーのジョセフィン・ベイカーもフォリーズの舞台に上がっている。ジーグフェルドは21本のフォリーズ作品のほかブロードウェイのミュージカルも数多く手がけ、アメリカのショウビジネスの基礎を築くことになる。

『ザッツエンタテインメント』でも紹介されたジーグフェルドフォリーズの第1作“A Pretty Girl Is like a Melody”(アービング・バーリン作曲)の舞台の再現シーンがこの映画の圧巻。175段の階段、総重量100トンの渦巻状の塔に、82人のダンサーや歌手が主題曲やジャズやクラッシックのメドレーを歌い踊る。
その巨大な舞台をカメラが回転しながら頂上に追っていくと頂点にヴァージニア・ブルース扮するフォリーズのスター、オードリー・デインが鎮座していて微笑んでいる。見上げれば天空から純白のカーテンが階段を覆い尽くすように降りてくる。この観るものの度肝を抜く大掛かりなセットは、当初作品自体ユニヴァーサルで進められていた企画だったのだが、あまりにも制作費が高騰しMGMに権利を譲り渡したという逸話つきである。3時間近い長丁場の作品だがこのシーンを見るだけでも価値がある。
黒い燕尾服の男たちと純白のドレスの女たちの群舞、白と黒だけの世界がいかに贅沢で美しいのか如実に表現したモノクローム芸術の極致といえよう。



この映画が製作された年、日本は2.26事件が勃発、戦争へひた走る不安の中にあった。よく映画を通して“こんな国と戦争するのか”と認識したという当時の世代の人たちの証言を聞いたものだが、確かにこの階段シーン一つとっても文化レベルの差を痛いほど感じさせる。戦後、昭和31年に東京・大阪でコマ劇場ができ、劇場名の由来となった独楽のように回る3層のせりあがり舞台が人気を呼んだのだが、その原型はこの映画で紹介されたジーグフェルド・フォリーズにあるのだろうか?
また、ドラマとしても恋愛あり、事業の成功と失意あり、夫婦愛ありでなかなか飽きさせない。映画の後半に描かれたブロードウェイのスタンダードになった『リオ・リタ』『ショウボート』『三銃士』『フーピー』4作品への資金調達のくだりあたりは、投資対象としてのショウビジネスが現在のシステムとほとんど変わっていなかったり、草創期のアメリカのエンタテインメント産業を知る上でなかなか興味深いものがある。

ジーグフェルドを演じたのはウィリアム・パウエル。ジーグフェルドの最初の妻となったアンナ・ヘルド役にこの作品でオスカーに輝いたドイツ人女優ルイーゼ・ライナー、そして晩年を支えた再婚相手の女優ビリー・バーク役は『影なき男』でパウエルと共演し名コンビといわれたマーナ・ロイ。
パウエルは1946年に公開されたMGMミュージカル『ジーグフェルド・フォリーズ』(ヴィンセント・ミネリ監督)で再びジーグフェルド役を演じた。監督のロバート・Z・レナードも1941年『美人劇場』でフォリーズを題材にした作品を手がけジュディ・ガーランドを階段セットの頂点に座らせた。ジュディ・ガーランドはその後1946年にヴィンセント・ミネリと結婚(ライザ・ミネリはその娘)。ジーグフェルドの威光なのかなにか不思議な縁を感じさせる人間関係である。

アメリカのショウビジネスのスケールの大きさ、奥深さを感じさせる秀作。


●巨星ジーグフェルド
(1936年米MGM作品)
監督/ロバート・Z・レナード
脚本/ウィリアム・アンソニー・マクガイア
   シーモア・フェリックス
音楽/アーサー・ラング
   フランク・スキナー
   ウォルター・ドナルドソンほか
出演/ウィリアム・パウエル(フロレンツ・ジーグフェルドJr)
   ルイーゼ・ライナー(アンナ・ヘルド)
   マーナ・ロイ(ビリー・バーグ)
  ヴァージニア・ブルース(オードリー・デイン)

1936年度アカデミー賞作品賞・主演女優賞・ダンス監督賞