2008年9月14日日曜日

 『上海特急』 銀幕の名花を彩るエキゾチシズム


1930年『嘆きの天使』で名も無き舞台ダンサーだったマレーネ・ディートリッヒを発掘し一躍銀幕の大女優へと押し上げたジョセフ・フォン・スタンバーグ監督が、その後コンビでハリウッドに進出し『モロッコ』(1930年)『間諜X27』(1931)をはじめ1930年代前半の映画界を席巻した一連の大ヒット作品の中の1本。
舞台は動乱の中国。北京(当時は北平)から上海への長距離列車の一等客車に乗り合わせた様々な国籍と怪しい背景を背負う9人の男女が、反乱軍の列車ジャックに遭遇し、その極限状況の中で愛と憎しみが織り成す人間模様を描いたもの。ヒロインのディートリッヒは“上海リリー”の通り名を持つ妖艶な謎の女を演じ、かつて愛しあったことがあった英軍軍医と再び恋の炎を燃やす。

1932年の作品だが、この映画は中国を舞台にしつつも現地のロケは一切無く全編ハリウッドのスタジオで製作されている。当時の北京、上海を再現するので多くの東洋人エキストラが動員され雰囲気はまあ作り上げているのだが、そこはやはり欧米人のイメージする中国なので、やはりどこかへんてこりんな世界ができあがってしまっている。
北京―上海を結ぶ鉄道ということは京滬線ということなのだろうが、蒸気機関車が北京を発車する際のシーンでは鉄路が市場のような通りの軒並みのぎりぎりのところに引いてあって、人がごった返し、牛が道をふさぎ、発車すると放し飼いの鶏を蹴散らしながらそろそろと動き出す。いくら当時の中国が混乱期にあったからといったってそんなわきゃねーだろうw。
また、列車を乗っ取る革命軍の首領が白人と中国人の混血という苦しい設定(どうみてもアジア人には見えないが)なのはまだしも、革命軍やら反乱軍やらの兵隊たちの軍服が変なサーベルは吊ってるは、中東の兵隊のような妙な軍帽をかぶっているはで、いたって正体不明なのだ。
しかもこの混血の首領というのがでっぷりとした好色親父で、乗客の中国娘(アンナ・メイ・ウォンがいい味出している)を手篭めにしたり、ディートリッヒを囲おうとしたり、ステレオタイプの悪ものといった風でメキシコの山賊といったほうがしっくりくる。
1931年の設定ということなのだが、史実でいくと当時の革命軍といえば瑞金ソビエト政府を打ち立てて勢力を拡大しつつあった共産党がまず第一に想定されるが、映画の中の革命軍はとても規律の正しい紅軍とは思えない。その頃までには北伐後の中原大戦に勝利した蒋介石が地方軍閥を平定し国民政府を打ち立てていたわけだから、最大限好意的に判断しておそらくは私兵を率いて蒋介石に対抗している地方軍閥の残党だと思ってあげるべきなのだろう。

とまあ、つっこみどころはたくさんある作品だが、当時絶頂期だったディートリッヒのエキゾチシズムに満ちた頽廃美は否定の仕様が無い。スタンバーグが愛情を注ぎ入れ込んだこの女優に対して、どうすれば妖艶な美しさをスクリーンに反映させられるか考え抜かれた、まさにその1点に集約された作品と言ってもいいだろう。列車の扉の影で一人たたずみ、恋する男に裏切りの誤解を受けながらも無償の愛情の狭間でゆれる女心を震える煙草を持つ手で表現するシーン。モノクロームの陰影と光を最大限に効果的に活かした素晴らしい瞬間を創り上げている。
この年のアカデミー賞の撮影賞を受賞したのも、決して仮想世界の中国の再現ではなく、ストーリーテリングの甘さをカバーして余りあるディートリッヒという女優個人に対するこの撮影において与えられたものだと思いたい。

スタンバーグは実生活でディートリッヒとの仲を疑った妻から離婚訴訟を起こされたほど入れ込んでいたが、その後1934年の『西斑牙狂想曲』の不入りでコンビを解消した。
異常なまでの密度の濃い二人の時間もわずか4年で終わったわけだが、これ以後スタンバーグの名は次第に色あせていく。一方でディートリッヒは銀幕の名花として華々しい成功の道を歩んでいくのだが、その後の作品で撮影が決まらなかったり、気に入らなかったりすると「どこにいるのよ、ジョー」とつぶやくこともあったそうである。

●上海特急
(1932年米パラマウント作品)
監督/ジョセフ・フォン・スタンバーグ
原作/ハリー・ハ―ヴェイ
脚本/ジュールス・ファースマン
撮影/リー・ガームス
出演/マレーネ・ディートリッヒ(マデリーン)
   クライヴ・ブルック(ハーヴィー軍医)
   アンナ・メイ・ウォン(フイ・フェイ)
   ワーナー・オーランド(ヘンリー・チャン)
   ユージン・パレット(サム・サルト)

1932年度アカデミー賞撮影賞。